歴史

ガッデム特派員

オーストラリアの民族の歴史は、約4万年前の第4氷河期、パンゲアと呼ばれた陸続きであった時代にアボリジニが移住してきたところから始まったと考えられています。4万年以上も前からこの地で生活を営んできた先住民のアボリジニは、ドリームタイム(天地創造時代)と呼ばれる独特な共生概念を持っています。

これら概念は、自然との共存を前提とした社会であり、現代社会においてのアンチテーゼとして見直されています。

基本的には非常に友好的な民族ですが、1788年からの迫害の歴史が、彼らの社会に大きな傷を残し、彼ら独特の文化と現代社会との隔壁があり、迫害、人種的差別に繋がっていることも事実です。

最初にオーストラリア大陸を発見したのはヨーロッパ人でした。
1606年スペイン人のトレス、また同じ頃、オランダ人のヤンスゾーンはオーストラリアの北岸のヨーク岬に上陸しています。
1769年6月3日は金星が太陽を横切る日で、これを観測すれば地球と太陽の距離が分かるということから、この観測のためクックはエンデバー号に乗ってタヒチに向かいました。
その後、南方大陸を明らかにするため南に向かい、そして1770年4月20日にオーストラリア東海岸のボタニー湾に達しました。
1788年1月26日アーサー・フィリップが11隻の船を率いて、756人の囚人と450人の乗組員を乗せた移民船が現在のサーキュラーキーに上陸しました。
当時のイギリス内相ロード・シドニーの名にちなんでシドニー・コーブと名づけられ、その日をオーストラリア・デイ(建国記念日)としました。
以降イギリスからの流刑囚が送り込まれるようになりました。
1880年代には、ゴールドラッシュが始まり、このオーストラリアに白人以外の入植者が登場する事になりますが、金の利権を確保する為に白人以外の人種を規制する移民制限法が制定され、白豪主義に繋がる結果となりました。
その白豪主義も1958年に撤廃、1970年代からは多文化主義政策として世界130ヶ国からの移住者が住む多国籍民族国家を形成しています。

以来言語、人種、宗教などの多様性を重視するマルチ・カルチャリズム(多国籍文化)政策を打ち出しています。
日本とのつながりも古く、1890年頃には、ケアンズの北に位置する木曜島で真珠貝採取の為37名の日本人が居住しており、1890年には羊毛貿易も始まりました。
また、西オーストラリア州のブルームでは、日本人とアボリジニとの結婚もあり、当地では所々日本の文化が残っています。
現在は、日豪文化交流も盛んで姉妹都市関係は70組以上で、年間の渡航者は60万人を数えるようになりました。

この記事を書いた人

ガッデム特派員 - ライター

シドニー滞在歴数十年。行ったことある国や都市で特に好きなところは:ボストン、ニューヨーク,リオン、パリ、ジュネーブ、ハワイ、西内まりや、バンコク、カンボジア、インド、ネパール、バリ、シンガポール、クイーンズタウン、トロント、ハミルトン島

ワーホリするならトラトラ!

特集


人気ランキング

まだデータがありません。

書いている人 一覧

トラトラからのお知らせ

全てのお知らせを見る
開く 閉じる